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2000.3.17(金) "モーニング娘。"という現象。
まず、はじめに"判官贔屓"ありき。 彼女たちは、音楽オーディション番組ASAYANの女性ロックボーカリスト・オーディションから出てきたのであるが、(知っている人は知っていると思うが)彼女たちはその落選者達なのである。(その時の当選者が「平家みちよ」であるが、これもまた悲しいかな、ものの見事に現在の立場はまったく逆転してしまっている。) まず、ここにこそ彼女たちが売れはじめた背景がある。落ちた人間を集めて、5日間で5万枚を5人で完売すればデビューさせてあげるという仕掛けができたのであるが、それを彼女たちは見事にクリアしたのである。 この手法はすでに電波少年やウッチャンナンチャンなどの番組が使っている売り込みの手法で、そのほとんどが成功している。「若い子を騙している」とすぐに大人は言うであろうが、別に子供たちにとってはテレビに参加しているという程度のものであると私は思っている。(お金儲けというファクターが絡むと、すぐに一般の人は子供を騙したというが、それほどすべてがうまくいくようなら、苦労はない。) この手法が成功するのは、日本人が本質的に判官贔屓的な性質を持っているからであろう。そもそも日本人は本質的に敗者にやさしい気質をもっている。困っている人を助けて上げたいという親切心は、できれば日本人のDNAのなかにいつまでも残しておきたいものである。(敗者を退けてしまわないのは、たぶん日本人が本質的に闘争心の少ない民族だからであろう、これは日本人が農耕民族であることや、侵略される心配の少ない島国立地がそういう気質を生み出したと私は思っている。) そしてASAYANという番組メディアの力。 それと成功の要因としていちばん大きいのが、彼女たちを応援した少年少女たちの(いまさら言うのもなんだが)テレビへの憧れであろう。オーディション番組はいつも彼や彼女たちの身近にあるものである。いつもテレビというメディアに関わっていたいというテレビの存在感が参加意識を高め、彼女たちを自分の分身としてとらえ、その一種の疑似体験が彼女たちをスターにしてしまったのである。確かにそこらへんの素人から選ばれて、レッスンなどで苦労している姿は他人事と思えないのであろう。 【余談】テレビの影響力について、私は逆にいろいろな危険性をはらんでいると思う。それを書き始めるときりがないが、私はもっと早く情報化社会が進んで、テレビのメディア一局的支配が終わればいいと思っているくらいである。「テレビ文化のファシズム」ということでまたこの点は考察したい。 計算されないところに魅力が生まれる。 オーディションの落選者のなかに、逸材の可能性を見つけたつんくも大したものだが(私は平家みちよがハタケ担当になったから自分も誰かをプロデュースしたいと思ったこと。そして単なるスケベ心だとおもっている…不謹慎でごめん)、最初この企画を思いついた時は、全くどうなるか実は計算できていなかったと思われる。全くの手探り状態から始めたプランが、とても魅力的なものになってしまったというのが本音であろう。とにかく彼女たちは元々ライバルの集団だから、常に緊張感がある。「次の曲は誰がメインをとる?」とか、常にいろいろな話題を提供してくれる。それがテレビというメディアで紹介されるわけだから、見ているものは面白い。たえず筋書きのない(…あるかも知れないけど)変化が生まれるのである。 【余談】予算不足でどうしようもない民放のドキュメタリーをよりは遙かにおもしろい。それにしてもNHKのドキュメンタリーは何故あんなにいいのだろう。ドキュメンタリーは所詮商業主義に走らないほうが良いのだろうか。 その垢抜けしない、ネーミング術。 "モーニング娘。"誰もが一度目は、えっ!と思うような名前である。ふつうはこんな名前はつけないと思うようなネーミングである。でも、ここにもつんく特有のユーモアセンスもあり、それはまた彼が大阪人であることも大いに関係しているのであろう。東京人なら名前にどうしても気取りが入るからこんな名前つけへんやろうというものが次々にできあがってしまう。「太陽とシスコムーン」「たんぽぽ」「プッチモニ」「あか組4」「青組7」「黄色5」と、数えあければきりがない。ここには、自分を安く見積もってもお客さんに受け入れられようとする、大阪的お笑い感覚。言い換えるなら、自分をかっこよく見せないサービス精神。それが彼のネーミングの根底にいつもあるのであろう。 しかし、この感覚こそが現代の市場にマッチしたのである。音楽はいままでにないスピードで消費される文化のひとつであり、この中にはこうした遊び感覚が必要不可欠なのである。アイデアというのはほとんどの場合"ふまじめ感覚"のなかから生まれてくるものである。それを理解していないとこれからの世の中は生き残れないように思う。 【余談】これまでの日本は企業に滅私奉公できる平均的アンドロイド人間であることがよろしいとする考えが世の中であった。それがいま世界均一化の波に飲み込まれようとしている、黒船ペリーや老兵マッカーサーが来ているにも等しい昨今の混沌とした時代に、外国に白旗をあげないためにも、こうしたアイデア感覚やオリジナルな発想は参考にしたものである。(但しアイデアにも、向かうべきベクトルが必要である。私はアイデアいう名のもとに、受ける側の第一印象を忘れてしまい、お金を無駄使いしている例を嫌というほど見ている) 登場してくる課程や、その努力をすべてわかっているという親近感。 舞台裏を見せるという、いままでのプロ意識では考えられないようなことをしている。(はなからあんなものプロじゃないと言われてしまえばそれまでだが、お金儲けをしているという点では立派なプロフェッショナルである。)とにかく彼女たちは一般の歌手と違って、毎週必ずその生き様がブラウン管に登場してくる。また普段では見ることのではない自宅での練習風景やレッスン風景を見ることによって、親近感が生まれてくる。つまりほとんど虚像というものが感じられないような世界である。大人の世界がすべて虚像に見えるような現代社会の中では、本音で語り合えるようなモー娘たちのいる空間は若者にとって共感がもてるのであろう。 いつも変化を創りだしている、そのスピード感覚あふれるプロデュース力。 "モーニング娘。"はとにかく短期間の間にいろいろな話題を提供してくれる。オーディション、メジャーデビュー、新ユニット編成、ソロテビュー、メンバー脱退、メンバー募集&新加入、青・赤・黄のメンバーシャッフルなど、絶えず話題を提供してくれる。それは計算されたものから、されていないものまでまちまちだかがいつも変化に富んでいる。次から次へと変化をつくり出す客を喜ばせるつんくの手腕は見事としか言いようがない。太陽とシスコムーンで小湊美和が一時首になったり、稲葉貴子が中澤ゆう子の演歌キャンペーンのスタッフとして駆り出されるなど、メンバーになってもおちおちしていられないと言うような緊張感を演出するところは、なかなか巧妙である。私などから見るとちょっと子供騙しだと思うが、これで子供は騙されるのであろうし、私のようなおっさんをはじめから相手にしているわけではないので、それでもいいのであろう。 "12番目"の集合体は、噛めば噛むほど味が出る? もちろんいろいろな外的お膳立てによってモー娘の人気が出たことは否めないが、しかし結構注意してみると、なによりも彼女たちがそれぞれに魅力的であったことが一番の要素であることに気付く。彼女たちは実にキャラがかぶらず個性的である。それは14才から26才という年齢の開きからもくるのであろう。それぞれの持ち味をうまく発揮している。ふつうこんなアンバランスなグループは普通なら一緒にデビューすることはないだろう。だからこそ、存在感が生まれ、注目率がアップしたのであろう。 また、つんくは最近発売した自らの著書の中で、私は「クラスの中で12番目位にかわいい女の子がいい」といっているが、まさにその感性こそが成功の大きな要因であろう。つまり、氾濫する情報化社会の中では、もう美人というだけでは存在感がなく、見る側にも感動を生まなくなっているのだろう。(例えば藤原紀香にしても、けっこう3の線が強いところが人気の秘密だろうと思われる)その社会風潮を戦略的に読み切ったところが、彼の才能であるように思う。 |