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2000.2.13(日)

最近の日本語について、言いたい放題書いてみました。

情報化時代のメディアと表現のスピードについて

「全然OKですよ。」という表現が最近よく使われている。私も時代に影響されやすい人間なので使うようになったのだが、最近、きわめて日本語の表現に厳しいコピーライターから、「全然」の後には否定語がくるのが日本語本来の表現だから、OKというのはおかしい?と言われてしまった。その通りである。「全然よくない。全然できていない。全然進まない。」のように、否定語が来るのが適切な表現である。確かに「全然その通り。全然優れている。全然美味しい」というのは、やはりおかしい。でも、昨今テレビを見ていても、「全然大丈夫。全然いけてる」と言う言葉がぽんぽん飛び交っている。これが、顔黒のヤマンバギャルだけが言っているのならまだしも、ニュースレポーター、中にはアナウンサーなども言っているのである。乱れた日本語だと言ってしまうのは簡単だけど、やはりどこに原因があるだろう。

それは、高速情報時代の省略表現?

よくホームページ用に文章を書いているときに思うことだけれど、従来の文章を書くリズムで書いていると何か読み手に対して、まどろっこしく感じられることがある。元々私たちコピーライターという文章書きは、体言止めなどを多用しながら細切れになっても、歯切れのよい文章を書くように習慣づけられているものだけど、それでもインターネットという様々な制約をもって画面に対峙している人に対しては、(つまり常時接続が一般的でなく、ほとんどの人が接続料金を気にしているような状況では)もっとスピーディーに読めるようにしなければと思うものである。

これは多分にメディアによる特性が大きいものと思われる。昨今はテレビも含めて情報が次々と流れる時代である。「フカキョン」「ケンタ」「イエモン」とか頭文字だけの省略語やコギャル語の氾濫などは、もちろんトレンディーな要素もあるが、それを反映するような情報がスピード化された時代背景が要因となっているのであろう。テレビやインターネットとなどのメディアを十把一絡げにして言うのは矛盾もあると思うが、新聞、雑誌などのペーパーメディアよりも伝達速度の早いメディアの台頭は、表現のリズムさえも変えてしまってと私は考えている。

とくにティーンエージャーなどに見て取れるように、くどくどと述べることはダサイのである。彼女たちが自分たちのスタイルで言葉を表現するのは、確かに自分たちだけのコミュニティを形成したいと意識もあるだろうが、(もちろん、人間が楽な方に逃げ込むという性質に他ならないとおっしゃる方もいるでしょうが)時代のスピードを反映しているといえなくもないと思う。

わかるなら、あいだの文章は省略?

というわけで、先ほどの「全然OK」であるか゛、適切な表現をするならば、「全然そんなことはない。OKだよ」という表現になる。時代のスピード感覚を反映して省略されたものではないだろうか、と私は考えている。実際「全然OK」という日本語が意味的に少しおかしいと感じている人は、話す際に「全然。……OKですよ」という風に、二つの言葉の間を少し間隔を置いてしゃべっている。 でも本質的な観点からすれば、もともと言葉というものは常道をちょっと逸脱したくらいのほうが存在感があるものだから、芸能人(影響力のある明石屋さんまなどがその一例である)の口から出た言葉が、ギャグというほどではないにしろ、十分存在感があるために広まったのだろう。

古き良きコピーライティングが、失われてしまった。

言葉が単純になっていくおかげといってはなんだが、言葉の機微なんてあったもんじゃない。私たちコピーライターがこれまで一生懸命してきた作業、たとえば言葉が持っている本来の意味以上を伝えるためにはどうすればいいのかや、行間に別のニュアンスや感情を込めようと努力してきたことなんてちゃんちゃらおかしい、という時代が来たのである。意味さえ通じれば、すべてOKというのが最近の傾向である。こんなことでは悲しいことに芸術論や文学論なんていずれ死に絶えるのではないだろうか?(実際、大学のゼミでしか語られなくなっていると思う。) また、「不思議、大好き。」とか「さわってごらんウールだよ。」など、かつての名コピーというようなキャッチフレーズが一人歩きする時代も、もうこないだろう。(T_T)

とにかく日本語はいま格段にシンプル化している。難しい表現は、社会の敵といった感さえアル。実際、TVなどで石原晋太郎が文学的かつ高尚な表現をしていると(私などは非常に知的ですばらしいなぁと思うのだけど)、一般の視聴者は「難しい表現は止めてほしい」と思う意見があるそうである。(個人的には、そんなあほな奴はほっとけ!と思うだけだが。わからなかったら辞書を引け!!と。)

でも、余談だか、そのうちデジタル放送時代になれば、辞書情報が送られていて、わからない言葉が出たときにクリックすれば、その意味が出るなんて時代が来るのだろう。デジタルテレビ放送で勉強したり、いろいろなことを調べたりする時代が来るのだろう。ある意味ですばらしいことだ。でも、活字の持つ創造性とかは、やっぱりなくなっていくんだろうなぁ。

活字の創造性よ、COMING BACK!!

個人的な話で恐縮だが、仕事で企画意図などを書くと時々難しい表現は止めてほしいとよく言われる。けっしてそんなに難解な表現はしていないつもりだが、世の中はもう複雑な表現を拒否しているのである。確かに、広告のコピーライティングは、お金をもらって多くの人に伝えなければならないという行動原理に基づいているから、わかりにくいということはマイナスにしかならない。

でも、文字文化から生まれる創造性も大切にしてほしものである。言葉がそだてる発想のクォリティなんてことは、最近の人々は悲しいことに関心がないのである。 活字の中に次々と自分のイメージを紡ぎながら本を読むことなど、もうこれだけの娯楽や情報が氾濫する世の中では、刺激のあることではなくなったのである。アー。残念である。

宇多田ヒカルなども芥川龍之介や夏目漱石など非常に伝統的な文学作品を読んでいるが、彼女のホームページを読んでいると、彼女のインテリジェンスやクリエイティビティはそんなところにあるように思うのだが…。まぁ、仕方ないか。(終わり)


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